子、四を絶つ。意なく・必なく・固なく・我なし
先生は、四つのことを絶ちました。(ここでいうところの先生とは、孔子のことでしょう。君子となるには、意なく(勝手な心をもたない)・必なく(決めつけをしない)・個なく(執着しない)・我なし(我をはらない) これらを守りながら孔子は、弟子たちに身をもって指導したのでしょうか?
子、四を絶つ。意なく・必なく・固なく・我なし
先生は、四つのことを絶ちました。(ここでいうところの先生とは、孔子のことでしょう。君子となるには、意なく(勝手な心をもたない)・必なく(決めつけをしない)・個なく(執着しない)・我なし(我をはらない) これらを守りながら孔子は、弟子たちに身をもって指導したのでしょうか?
コモンセンスを身に着けることが、幸福の三要素と唱えるアドラ―は、それらを身に着ける条件として、(自己受容)(他者信頼)(他者貢献)があってこそ人は幸福を感じると言っています。 最近の会社でいうところの、能力主義が行き過ぎると、これら3つのバランスが大きく崩れる気がします。 まずは、自己受容し、他者を信頼し、貢献すれば、自分がアウトプットした以上のものが返ってきます。
アドラーは、我々が対人関係で困った時は、より大きなコモンセンス(共通感覚)も声を聞けと語っています。抽象的な表現にも聞こえますが、心理だと思います。その課の問題なら会社全体の声を、学校なら世間の声を、とコモンセンスの感覚に沿うことで正しい方向性を見つけることができます。
200年前の教えでも、現在に十分通用する教えだと思います。人間自体は本当に進歩をあまりしていないことがわかります。 よって昔の大切なことと今の大切なことはほぼ同じと言えます。
考えても考えても答えが出ないとき、私は易経の力をかります。考えても考えても答えがでず、答えは易経にまかせて、それに向かって努力する方法をとります。大切なことは、その方向が正しい、成功すると信じて努力することです。
言葉かえるなら、もし今日の仕事でお金が発生したのであれば、それはかならずだれかの役に立っているということになります。意外とこのことを意識していない人が多い気がします。どんなアルバイトでも、どんな働きぶりでもかならずだれかのやくにたっているのですから、続けるだけでも大きな意味があると思います。 あなたは、大切な人なのです。
世の中には、才能と言う言葉が溢れています。なぜでしょうか?そう能ありなしで判断すると努力が軽く見られます。才能×努力=スキルという公式は正しいと思います。スキル×努力が結果を導きます。 才能があるなきは神に任せましょう。
心からやり遂げたと分かるのは自分だけです。よって心からやり遂げたと見れる風景もまた、自分だけの風景です。誰の評価でもなく、自分の人生のなかで、一度でいいから、心からやり遂げたと思えてみる風景を見たいと思います。
やるんでしたら今日からやりましょう!明日やる覚悟は覚悟ではありません。20代の時、「古本屋をしたい」と妻に相談したら、明日から始めてくださいと言われました。そうなんです。だれも止める人なんていないと気づかされました。止めているのは自分です。ですからなんでもできる時に進めてください。いつかできる?いえいえ段々できなくなります。
人はお金のみで働いているわけではありません。その欲するところは何か?自分の欲するものを明確にすることで、努力とも思えずに知的好奇心で、いろいろな挑戦をしてもらえばと考えます。