新入社員の頃、教えて頂いた言葉に”格差小なり、ささいな行動が信用を左右する”という言葉です。この言葉がアメリカのベンジャミン・フランクリンの言葉だと知ったのは、それからずいぶん後のことです。ベンジャミンフランクリンの自叙伝について、正岡子規がなくなる数日前に、感想を書いているとのこと。約120年前に子規は、フランクリンの自叙伝を原文で読み、感想を書いたと聞き、心から驚きました。最後まで情熱ある子規のエピソードに感動します。
今日が人生の最後の日だと思って生きよう
”私は今日が人生の最後の日だと思って生きよう” 世界中の経営者や営業マンから愛された本の一節です。何度読んで基本に帰れる本だと思います。地上最強の商人とはだれなのか?そして、その商人の教えとは何か? 近年文庫本も出ており、オグ・マンディーのなかでも一番のお勧めです。
人生の壁は、本気でない人を諦めさせるためにある。
「人生の壁は、本気でない人を諦めさせるためにある。よって壁とはどれだけ本気かを示すためにあると言える」大好きな ランディパウシュの言葉です。今でも彼の最後の授業をYOUTUBEでたまに見ます。まだご覧になられていない方は、 ランディパウシュで検索ください。
彼の最後のメッセージは「得意なものを持て、君は価値ある存在になれる。アピールできるものを持て、君はもっと認めてもらえる。未来の子供たちに伝えたい貴重なメッセージです。
もの買ってくる自分買ってくる
”もの買ってくる自分買ってくる”河合寛次郎さんの有名な言葉です。長く美術の仕事にたずさわらせて頂いたこともあり。美術作品の前に立つ時は、自分の価値感や信条に触れたり、本能に触れた作品に出合えると、言葉ではなく鳥肌が立つような感動に出会えます。
今回の写真の石像は、河合寛次郎さんの弟子の岩城信喜さんの作品です。永六輔さんの愛した作品でもすこし有名です。いつもこの石像の顔を見ると、こちらも笑顔になります。
連休最終日
今年も例年通り、前日に夫婦で連休だけのスケジュールを作りました。
初日は、福井県鯖江市につつじとレサーパンダを見に行きました。スケジュールは毎年恒例で、作る食事のメニューまで書き入れます。最終日の今日は、シュウマイを作ります。午前中から作り、お昼はその余りでワンタン入りラーメンにして、夜にシュウマイをふかします。二人で60ケほど作りますが、たぶん翌日もシュウマイです。子供達が巣立つと、このように何でも一日では、食べきれないことが多くなります(単に多く作りすぎ)。先日も大量の野菜スープが、次の日カレー翌々日はカレーうどんその次はドライカレーとなりました。それでも外食よりそこそこおいしいのには、アレンジ上手な妻に感謝です。
どうせやらなきゃならない仕事なら
私たちは、親や配偶者や子供の期待を満たすために生きているのではないと思います。
自分のための自分の人生を生きていないのであれば、誰が自分のために生きてくれるのでしょうか?
食べるために どうせやらなきゃならいない仕事(勉強)なら。
自分にとって楽しいことを選びましょう!。
今日の天気がわかる
経健康で過ごせる
できれば気の合う仲間が近くにいる
今日一日が、あっという間に過ぎてゆく
これ以上求めるには、自分の努力が必要です。
この世に生きた証たて
おつきあい
生きてるうちは 気にかけず いつでも会える気安さに 話もしみじみしなかった
煙となって消え去られ 話したくとも通じない
思う心の重たさに 歯ぎしりしているこの辛さ
死なれて後悔するよりは
生きてるうちに真実を みせればよかった口惜しさ
生あるものが滅ぶなら すべてのものにやさしくし
この世に生まれた証たて
やがては煙と消えていこう
やがては煙と消えていこう
****子供のころ 友人から教えてもらった詩の一説です。どなたの詩なのかご存じの方教えて頂けると幸いです。ただ、この詩の大切さを年を重ねて感じています。
昔から、わたしの言葉は伝わらない。。。
昔から、わたしの言葉は伝わらない。思いやりという余計なフィルターを通されて、。。。。。という取り扱い注意のシールが貼られる。「流浪の月」より
2020年本屋大賞受賞した 凪良ゆう さんの文章の一節です。読み進むうちに会話によって人の心がどれほど移ろうかを感じます。キャリアコンサルタントも相談される人の心の移ろいを感じながら、何かを気づく役目ができればと思います。私は”この思いやりという余計なフィルター”という表現に、”相手のことを思う”の意味を今一度考えていきたいと考えました。
母親が教えてくれた教訓
母親が私に教えてくれたことです。(母は中学を卒業してすぐに家業の手伝いをし、結婚後は私たち子供や祖父母の世話をしてくれました。そして私が中学生の時 学校への提出書類での母の年齢欄は、3年間39才でとうしました。)
①生活の中に季節や花鳥風月を取り込まないと とんちんかんなに 人になる
②母は、外食に行き、お店の方が食事や水を持ってくれるたびに「ありがとう」と伝えていました。偉い人にも子供にも年寄りにも常に等しい態度 母は平等主義者でした
③ある日 家に帰ると 外人のカップルの方と母が一緒に食事をしていました。「どなた?」と母に聞くと 困っていたから家に連れてきたとのこと。「どこの人?」と聞くと「たぶん チリ」 外国語をはなさない母が どうやって誘ってここまで来たのか不思議でした。 母はグローバルな人でした
④突然 私の住んでいる街に母が新幹線に乗ってやってきました。「どうしたの?」と聞くと、「おじいちゃんに、墓石を買うのですこしお金を応援してと頼んだら、300万の通帳を差し出して、墓石はいらん、苦労して今まで自分たちの世話をありがとう!これでダイヤを買いなさいと言われた」と伝えにきました。母は、この祖父の一言で今までの嫁の苦労が吹き飛んだことを伝えに来たそうです。 母はだれよりやさしい人でした。
「親は子供の邪魔にならない」
野球の松井秀喜さんが5年生まで柔道をしていたのは、あまり知られていない事実です。そんな松井秀喜さんを野球の神様は見逃しません。友人たちに少年野球に誘われた松井少年は、父親に「野球も柔道と一緒にやりたい」と相談します。人格者の松井さんの父親は、「親は子供の邪魔にならない」という信念をもち、「お前の好きなようにやればいい」と言ったそうです。この父親の寛大な判断がなければ、ゴジラ松井は誕生しなかったのかもしれません。