東北のある町のバイパスを走っていて見つけた看板。”ないものはない店”雑貨店のようでしたが、考えを変えれば”ないものは、当たり前でない” ”ないものがないわけでなくないものはない” ここの主人がそこまで考えているのかいないでか。。でもなんだか一度は立ち寄ってみたい気がしています。
光りのない世界で生きる
たぶん私は、目で見えるモノ。価値観。ルール。で生きてきました。光りすら感じることのできない場合はどうなるのか。3日間の検査入院で想像してみました。自分の母親は人生の最後の半年を光のない世界で生き。家族はそれでもいい。生きていたくればと願いましたが、願いは半年しか叶えられませんでした。彼女はその半年間で別の病をみつけ私たちの場所から離れていきました。彼女は、窓をあけて外の光、音、風を感じていました。会いに行くとずーっと手を繋ぎながら話すことを好みました。人として大切なことは、目に見えるモノ以外にもたくさんあることを最後に教えてくれました。今回私が、入院している間に10年以上ぶりに夢に母がでてきました。何も語らず、コタツでミカンをむいてくれました。
3日間検査入院してきました
眼科で3日間の検査入院してきました。入院たるものは10年ぶりでした。食事が大きく完全され、おいしいく温かい食事が毎回でてきました(もしかしたら食事制限なしからかも)テレビやニュースも意識して見ず、読書三昧の3日間。でも病院で過ごすのは検査とともにつらい3日間でした。家に帰ってホットケーキ食べたら、なんだか元気になりました。
”人に親切にせよ、彼らは予期せぬときにあなたの力になるかもしれない”
PTA活動は いつも時間ばっかりとられて嫌になると言っていたAさんが、ある日突然リストラにあい職を失いました。そんな時助けてくれたのは、PTAの当時の会長さんでした。AさんのPTAでの真面目な態度に感心し、以前以上良い会社で、役職付きで紹介してくださいました。まさしく、”人に親切にせよ、彼らは予期せぬときにあなたの力になるかもしれない”と言えます。
50組の仲人をした母の遺伝子
今は亡き母の自慢は、50組の仲人をした実績です。長男の父と長女であった母は、20代から仲人をし、生涯で50組の仲人したそうです。確かに子供のころ、よくお見合いの場に同席されられました。母は常に、男女合わせ10枚以上の写真を持ち歩いていました。今思うと最強の趣味だと思います。自分や父親の兄弟姉妹の相手まで探しており、今も4組の夫婦は仲良く暮らしています。そういえば、50組どれも離婚もしていないそうです。この遺伝子を私は引き継いで、3年間で13組の引き合わせを実施し、昨年初めてそのうちの1カップルがゴールインしました。このペースでいくと50組には150年かかりそうです。それでも初めてゴールの報告をお聞きしたとき、なんともいえない感動がありました。これも母の遺伝子がなせる業かもしれません。
あなたの肩には、何人の人が乗っているのでしょうか?
はじめて事業を始めたときに、新卒の方を採用する際とても迷いました。そこで、100人くらいの従業員をもつ社長に相談に行きました。そこでの会話はこうです。
社長「何人新卒採用で迷っているの?」私「一人です」社長「一人二人採用で迷うような事業は最初から始めないほうがいいよ」「新卒なんて1-2年は稼いでくれないよ。その何も稼がない人を何人も肩に乗せて、自分がその人の分まで稼ぐつもりで働きなさい。そんな心構えがないなら、経営者にならないほうがいいよ。経営者とはそんな割の合わない仕事だけど、自分の肩に何人乗せて走れるかが価値だよ。一人二人は、乗せるというよりぶら下がりかな」経営者の器という言葉があるように、オーナー企業の経営者には本当に多くの事を学びました。
”人間の魅力はそう簡単には終わらない”
”人間の魅力はそう簡単には終わらない” 写真家 田沼武能さんの言葉です。世界中の子供たちを取り続けた田沼さんだからこそ、人間の魅力とその力を信じたのだと考えます。とくにそのファインダー越しに見る、キラキラした子供たち目の奥に子供たちの未来に対する可能性を信じたのだと思います。
もらえるものはもらってしまえ
3つ上の兄に言われた言葉です。末っ子の私は、小さいころからなんでも「あげようか?」と言われると「いらない」と言ってしまう性格でした。上に2人の兄がいたことで、いっそういい子でいないとと思っていたのかもしれません。そんなある日兄から、「なんでももらえる環境に生まれたことには感謝して、もらえるものはもらってしまえ」といわれました。「それで本当にいらないなら、世の中に返せばいいよ。もらえるものをもらえる人でないと 何も世の中に返せないぞ というのです。 なんだか自分が小さな人間に感じてきて、今では、何でも喜んで頂ける性格に変わりました。
18転び19起き
”18転び19起き” さて誰の事かと言いますと、リチャード・バック ”かもめのジョナサン”の著者です。彼は、マクミラン社で1970年にこの本を出版されるまでに、18社の出版社から断られたそうです。その後700万部との800万部とも言われたこの本は、現代でも多くの人から読まれ愛されています。日本では五木寛之さんが訳していることにも驚かされます。
明日する覚悟は、覚悟ではない
”明日する覚悟は、覚悟ではない” 近江商人の言葉です。言葉を変えると、今日覚悟して今日やらないと意味がないとの教えです。日本どこでも商人はいます。そのなかで名前を馳せた近江商人ならではの厳しい教えかと思います。